遠藤 由季子 (Yukiko Endo)

1998 年、福島県に生まれる。幼少期から手芸やお絵描きが好きで、作ったもので友人や家族が喜ぶことが嬉しくて、ものづくりを生業にしたいという気持ちが高まる。2017 年、長岡造形大学に入学。3つの金属工芸とガラス工芸についての基礎を学び、3年次にガラスコ ースを選択。急激な温度変化によるガラスの「割れ」に興味を持ち、2021 年に入学した富 山ガラス造形研究所でも研究を続けている。

研究テーマ

「自身の魅力とする“割れ”の様相を中心に、どうすればより自分の「作品」として魅せることができるか、表現の研究」

一般的には忌避される事象であるが、人が私の作品を見た際に、私が割れの何を魅力に思って表現したかが伝わり、かつ魅力あるものと感じてもらえるような表現の模索を試みる。

ガラスについて

物心ついた時から、キラキラしたものが好きだった。保育園での野外遊び、年長さんになってからは、砂利の中の「ダイヤモンド」探しに没頭した。日の光に反射してキラキラ光る、透明でちいさなダイヤモンド。今思えば、あれは砂利に混じったガラス片だった。砂利に揉まれて角を少し落とした、数mm程度のガラス片。当時の自分にとってはあれがダイヤモンドで、大切に集めた宝物だった
自分がガラスに対しての魅力を自覚する以前から、知らずガラスに触れていたということが少し面白い。
福島県の猪苗代という町にあるガラス館が、自分のガラス工芸に対する感情の原点となる場所である。高い天井に広い店内で、一面キラキラしたガラス製品に囲まれるその場所は、非日常の象徴で、自分にとっての特別が詰まった場所だった。ある時から商品棚より先に併設された吹きガラス工房を見学できるスペースに、真っ先に向かうようになった。棒の先に巻き付けられたオレンジの玉は、棒に吹き込まれる息によってどんどん膨らみ、あれよあれよという間に1つの花器になる、コップになる、動物になる。自分もやりたい、というより、とにかくずっと見ていたかった。不思議でたまらなかった。欲しいものはないかと親に 促されるまで、ただ作品ができていく様を見ていた。
ビーズでアクセサリーを作れる。布を縫ってぬいぐるみが作れる。毛糸を編んでマフラーを作れる。でもあれはできない。なぜだか漠然と、そんな思いがずっとあった。ガラスを作れる人は、生まれたときからガラス職人なのだ。当然将来の夢の1つにも入らなかった。だから中学3年の夏、姉に付き添って長岡造形大学の見学に行った際、ガラスを学ぶ学生を見て心の底から驚愕した。学べるのか、ガラス。
それならばぜひ学びたい。そうしてガラスの新たな魅力を次々と知り、離れることができず今に至る。やりたいこと、試したいこと、追い求めたい様相、どれも尽きない。
自分がガラスに感じる魅力としては、その見た目の美しさはもちろんのこと、一筋縄では いかない性質の複雑さにある。急激な温度変化や衝撃に弱く、温度や成形のコントロールは一朝一夕で身につくものではない。加工終了間際でも容赦なく割れる。めんどくさい素材だ と思う。そのめんどくささが、とても愛おしい。なかなか思い通りにならない素材だからこそ、素材と作り手という感覚より、生き物と対話している気分になる。自分では思いもよらなかった様相をガラスが現してくれる瞬間がたまらなく好きだ。相手がガラスだったからできた共同作品。そんな制作をしていきたい。

私の興味について

私は、空の様子や雲の動きについて興味を持っている。よく空を見上げては、移り変わっていく雲の形を眺めている。
雲とは、微小な液滴または固体の粒が大気中に群をなして浮かんでいるものであり、その 種類は上層雲である巻雲(すじぐも)、巻積雲(うろこぐも、いわしぐも)、巻層雲(うすぐ も)、中層雲である高積雲(ひつじぐも)、高層雲(おぼろぐも)、乱層雲(あまぐも)、層積 雲(うねぐも)、下層雲である層雲(きりぐも)、垂直に発達する積雲(わたぐも)、積乱雲 (にゅうどうぐも)の十種に分けられる。
雲の分類は紀元前から試みられていたが、分類とその呼び名の基礎は、19 世紀始めにイ ギリス人のハワード(Luke Howard:1772-1864)により作られた。19 世紀後半、スウェ ーデンのヒルベルソン教授とイギリスの貴族アベルクロムビー卿が、観測者はそれぞれの 雲に対して共通の名前を使う必要があることを提唱し、1887 年にハワードの分類とその名 前を基にして、10 種類の雲の分類とその名前を作った。さらに世界中をめぐって雲の写真 を撮り、雲の形は世界共通であることを示した。その後、何回かの国際会議により改良が行 われ、今日世界中で使われている「10 種雲形」となる。
なぜ雲は形を変えていくのか。雲は上昇気流によってつくられる。水蒸気を含んだ空気が 上昇気流で上に持ち上げられると、空気中の水蒸気が上空で冷やされ、水の粒になって現れ 雲になる。したがって、上昇気流のある所では雲がつくられて、その反対に、下降気流のあ るところでは雲は消えていく。雲の中やそのまわりでは、いつも上にふく風と下にふく風が 吹いている為、雲もできたり消えたりする。これを遠くから見ると雲の形が変わっていくよ うに見える。
太古から人類の頭上ないし周囲に存在してきた雲は、天候を予測するための指針として 観測、研究されたり、絵画や楽曲や書籍等、情緒面でも影響を与えたりしてきた。石川県立 大学客員研究員・気象予報士である村井昭夫さんは、雲を「どこでも観察できる唯一の自然」 と称している。特定の場所に出向かずとも、見上げればそこにある雲。誰でも場所を問わず 観測できるということは、それだけ多くの影響を人間にもたらしてきたと感じる。 刻一刻と姿を変え、大まかに分類されても一つとして同じ形が存在しない雲は、人の研究 心や好奇心、情感を刺激し続ける、一番身近な自然ではないだろうか。

名古屋芸術大学での研究発表



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